Saturday 19 March 2011

原発に近い福島県いわき市の今のこと、被災地のこと





*いわき&原発周辺の物資が届かない土地の力になってください。
こちらは、豊間、薄磯地区、塩屋崎灯台周辺の今です。
美しかった海も、津波とともにたくさんの方が命と家を失いました。また原発事故により、物資も届かない状況です。たくさんの方がが苦しんでいます。
どうか助けてください。


私が感じたことをシェアさせてください。

まず、安全に放射能がなくなりますように、被災地の方が一日も早く安心に変わるように、心から祈っています。

私は福島県いわき市、原発から30キロから50キロに住んでいます。
市からは屋内退避を命じられていますが、水もでない地域もまだあり、食べ物も、ガソリンもほんの少ししかありません。
リスクを負って、外に出て、水を汲みに行き、食べ物を買うためにお店に並ぶ人であふれています。
そうするしか生きられない。
外に出ないでください、なんて現実できません。
でもそうするしかない、ここから出られない事情がそれぞれにあります。
もちろん1人暮らしのお年よりはだれかの助けなしでは生きていけません。

水はほんとに大切、生きるに必要なことはもちろん、節水のため震災後庭に穴を掘ってつかっていたトイレも、家の中ではどうしてもきれいに保つためにはたくさんの水を必要とします(といっても洗面器半分くらいですが)。
(普通のトイレがどれだけの水を使っているかってこともわかり、紙を流さないだけでも違うこと、洗濯も手もみ洗いして、脱水だけ電気を使うこと、お風呂の残り湯を有効利用すること、たくさん賢くなりました笑)

そして、今までなんと幸せだったのかと気づかされました。
おもいっきり空気を吸えることお水がでることも、蛇口をひねってお湯が出ることも、
なんの心配事もなく、散歩したり、出かけたり、ご飯食べたり、愛する人たちとそれができるということも、、、
当たり前すぎて、なにも感じていませんでした。

海沿いの家の方は崩壊して、ほんとに大変な状況です。まだ行方不明の方もたくさんいらっしゃいます。
3メートルと言われていた津波は、ここでさえ10m。予定の時間よりもかなり早く、ものすごいスピードで襲ってきたそうです。
そのようにして傷ついた方々の心はほんとに想像もつかないものだと思います。
そのような方がほんとにたくさん、被災地にはいらっしゃいます。

私はこれから家族をもっていきたいので自分の体を被ばくのリスクから少しでも守りたくて、妹のいる千葉へ避難してきました
恐ろしいほどの不安と恐怖は離れていくごとに安心にかわりました
母は公務員、日に日に出勤する人が減る中がんばっています。
あともう少しで津波にのみこまれていたので、次の日歩いて帰ってきたときはほんとにほっとしました。生きててよかった。
父は介護施設から、祖母をひきとり介護しています。介護施設でももう限界、病院もそうです。
地震の時、お父さんと一緒にいれてよかった。とっても心強かったです。
仙台にいる兄もほんとに大変でした。
大切な友達が、家族を探しにいってそのまま海で天国へ旅立ちました。
いろんなことがありました。

昨日、いわきに残ったままの父と母に電話をしたところ
私の群馬の友達が、家を1軒あけることできるから、もしなにかあったらみんなで避難しに来てねと言ってくれました
それで、父たちにもそのことを伝えました

父たちの電話先の声は動揺することもなく、いつものように元気で、

「お父さんたちは最後までここに残るよ、大丈夫だよ
家もある電気もあるし、水はないけど、食べ物だって家にいっぱい残ってる
人生だってもう大半生きたし、なにより子供も残して育て上げた、もう人としてすべきことはやり終えたよ

放射能なんて、被災地の家もなく、亡くなられた方や家族がいる方の苦しみと比べたらなんと幸せなことか

逆に自分の家を離れたら、ストレスになってしまうと思う
居心地のいいここにいるよ、そんなに心配することなんてない
おまえのように、いちいちこんなことで心配していたら生きることなんてできないんだ
生きるには強さが必要なんだ」

そんな風に言ってました。

父たちってすごい
私は二人の子供でよかったな~ってほんとに思いました

放射能なんてたいしたことない
今生きるか死ぬかをがんばっている人と比べたら、大したことないこと

その言葉に、言葉が出なくなりました
今を受け容れなければいけない理由がそれぞれにある

政府がどうして、私たち原発の近くの人たちのことをもっと安全に対処してくれないんだろう 
と思ってたけど、きっと、今はそれをしたくても、いっぱいいっぱい、
どうしてもできない状況なんだと思った。

避難所や病院や介護をはじめたくさんの人手不足、燃料不足、、、
優先すべきことがありすぎるんだと思った
放射能のことばかりを心配していた、私って自分勝手すぎたんだと思った
父たちは心に決めているんだから、立ち入りすぎたとも思った
みんながそれぞれにとって正直な気持ちで生きるということが大切なんだと思いました

でも、原発から近いところにいる津波の被害で大変な方々だけでも優先的に助けてほしいです

父たちの芯の強さに、ガツンと現実を見る視野をもらいました
私が今できることは、ただただ祈ること
でも私はここに避難してきたことは正しかったんだとも心から思いました
そして、しっかり生きなくちゃって思いました

なるようにしかならないのだから、情報に心を左右されすぎないこと、不安は不安をあおるだけ、心底思いました
希望を捨てないで、祈ることが大切。
安全に放射能がなくなりますように。
やさしさをもって見守ること。
そして、私たちがやさしい気持ちと祈りの環をどんどん増やして、生活の中でできることを1つ1つするだけなんだと思いました

今回の地震はほんとにたくさんの学びがいっぱい
感謝すべきことがたくさんある

「なにに気づくかです」

地震のあとに、いただいた言葉の意味がやっと見えはじめてきました
みなさん祈っていてくれて、被災地への思いやりをありがとう。

昨日、買い物に行ったら募金箱にいっぱいのお札
とってもうれしくなりました☆

今できることを一生懸命それぞれの形でしていきましょう
前を向いて!

いわきの海とってもきれいでよく海へ遊びにいってました
でもこんな風に一瞬で変わってしまいました
この海の水が今、日本を救っているんです♪
なにも言わずに私たちの我がままを受け容れてくれる、自然たちに、地球に心からありがとう