Wednesday 11 January 2012

原発への恐れの根っこの心

久しぶりに原発事情に詳しい友達の輪の中に入ってお喋りした
でも福島の現状を考えると言葉も発することもできなくなる、聞くことで精一杯
この手の話になると、とてもネガティブな感情になるので、いつも数日どよーんと落ち込んでしまいます。
だいたい泣いて数日無気力になるんだけれど、、、
それに気づいてからなるべくダメージを受けないように、考えないように、情報を入れないように触れないようにしていました

(幸いなのか、震災前に現代で言う最悪の事態っていうのはどんなことなのか、鎌仲ひとみ監督の映画や前の仕事先のオーナーが昔チェルノブイリの子供たちの里親ボランティアをしていたことがあったり、知る機会がありました。)

案の定、またまた悲しみとか、怒りとか、不安とかに引き込まれるのですが、、、
家に帰っていろいろ考えていたら、とっても大切なことに気づいてしまいました

「そっか、この問題のネガティブなエネルギーって、死ぬことへの恐怖からきてるんだ」

だからものすごく引き込まれるんだ
私もみんなも死ぬのが怖いんだ
でも、
死ぬこと=魂が今生の学びは終わりだよ~と、肉体から離れる喜ばしいこと。
そしてまたレベルアップして新しい肉体で生まれ新しい経験ができること(これたぶんほんと)

それは怖がることでも悲しむことでもなく、また新しい自分になれるのだから、成長するための幸せなこと
なので、自分の心に正直に、ただ楽しんでいればいい
今日死んでも後悔ない生き方をしたらいいだけなんだ
だから、なにがあっても不安になることはないし、大丈夫

頭でわかっていても出来なかったけど、原因がわかって晴れ晴れ

ほんとはね、起こることすべてに意味があって、あるがままを楽しめたら、それが自然に生きるということなんだろうけど、
今度生まれてきたときは、同じような状況になったときでも、その現実を受け入れて、貴重な状況を苦しむことをせず、楽しんで味わえるくらいの人になりたい。
今は他にしなくちゃ学べないことがあって今ここにいるんだろうな。
だから、私は福島にいる人たち、家族や友達が苦しまないで過ごせるよう応援しています

病気もきっと同じこと。これも死からの恐怖。
それも味わうことができたら比べなくなったら平安になるんだろうな。
でも、症状となって現れる不自由はつらいし、健康な人と比較してしまいがちだからなかなか受け入れられないと思う。
すべての苦しみは比べることから来るのかな。いい悪いの価値観が現代は根付いているから、関わりやすいから抜け出しにくい。
でも結局、すべては自我を手放すことでしかないってことか~。
自分だけを見てあげて、癒すこと、愛してあげることでしかないんだ。

と、あれこれとたまに考えたりするのでした。
でもなんだかすっきり、ネガティブな心ももうすぐ卒業になるといいな。

明日は晴れるみたいだから、山スキーの練習かねて、どっぷり自然にふれてこよう~
自然の中にいると、頭がからっぽになって今を楽しめるのです